広島・吉田町山部(やんべ)から新鮮な野菜をお届け

やんベジタの歴史

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やんベジタの礎を築いた、初代・薫一(しげいち)

「やんベジタ」の故郷、

大杉家の農園がスタートしたのは、

今から約100年前の大正8年(1919年)です。

初代の大杉薫一(しげいち)はアメリカに渡り、

そこで働いてお金を貯めたそうです。

その金額は1000円。

現在の価値で約1000万円の大金を持って、

日本に帰ってきたそうです。

その1000円で現在の場所に家を建て、

農園をスタートしました。

大正8年頃、農園がスタートした頃。牛2頭に挟まれているのが初代・薫一。

大正8年頃に撮影されたと思われる写真。白壁の蔵の前に立っているのが初代・薫一。

地域初の酪農に挑戦した2代目・ 実美(じつみ)

薫一の息子で2代目の実美も、

父ゆずりのフロンティア精神のある人でした。

彼は地域で初めて乳牛を飼い、

酪農を始めました。

牧草や小麦を栽培して、

牛たちの餌を自分たちで作って与えていたそうです。

実美の育てた牛たちから搾る牛乳はとても美味しいと評判で、

遠い町からも注文が入っていたそうです。

移動販売に挑戦した3代目・忠雄(ただお)

3代目の忠雄も、初代、2代目と同じように、

先見の明があり、チャレンジング・スピリッツにあふれています。

忠雄が先代から農園を引き継いだ昭和40年代は、

各地にスーパーマーケットが乱立し、

徐々に八百屋、お肉屋といった個人商店が廃れはじめた時代でした。

昭和40年代の大杉家

昭和40年代の大杉家

忠雄は様々なスーパーマーケットの野菜売り場を見て回り、

(どこも値段が高い割には、収穫して何日も経った鮮度の低い野菜しか置いてないな・・・)

ということに気付きました。そして、

(新鮮な採れたての野菜をその日のうちにお届したら、

お客さんに喜んでもらえるかもしれない!)

トラックによる野菜の移動販売を始めたのです。

ちょうどその頃、

日本にはモータリゼーションの波が押し寄せていました。

それまで超・高級品で一部の富裕層しか買えなかった自動車が、

一般庶民にも手に入りやすくなっていました。

昭和50年頃。忠雄の移動販売車の前で記念撮影する、5代目・忠

昭和50年頃。忠雄の移動販売車の前で記念撮影する、4代目・忠

忠雄は毎朝野菜を収穫し、それを広島市内で売り歩きました。

新鮮で美味しい野菜は瞬く間に評判になり、

いつもトラックが空っぽになって山部まで帰って来たといいます。

そのうち、自分の農園で作った野菜だけでは足りなくなり、

他の農家からも仕入れて売り歩いたと言います。

新しい時代の新しい野菜のご提供方法を模索中・・・。4代目・忠(ただし)

やんベジタの最高責任者であり、

大杉家の4代目である忠(ただし)は、

今の時代にあった、野菜のご提供方法を模索しています。

キーワードは「超・高齢化社会」「核家族化」「高齢者の孤独化・孤立化」・・・。

これらの問題を抱えている現在の日本社会が、

山部(やんべ)で採れた美味しい野菜を通じて、

少しでも良くなるように、貢献したいと考えています。

忠は某上場企業に長年勤務して海外勤務の経験もあります。

また6年前から便利業の「ベンリー廿日市店」を開業し、

地域の皆さまのお困りごとをサポートさせてもらっています。

これらの経験と知識、そして経営資源を活用して、

山部(やんべ)の野菜を通じた社会貢献を行いたいと思っています。

具体的には、まず広島県廿日市市を中心に野菜を直接お届けする直送販売と、

将来的には全国発送で、山部(やんべ)の美味しい野菜をお届けすることを検討しています。

 

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